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健康経営の目的は?労務管理に活かす方法
従業員への健康管理を戦略的に実践する「健康経営」は、日本で広がりを見せて10年が経ちました。健康経営優良法人制度においては、上場企業のうち31%が健康経営度調査(2023年実施)に参加※しており、中〜大規模の企業においては健康経営の実践が当たり前の時代へと変わっています。
※ 第11回健康投資ワーキンググループ 事務局説明資料より参照
なぜ、健康経営はこれほど普及できたのでしょうか?
健康経営は、従来の労務管理の範疇にあった「安全衛生管理」の枠を超えて、生産性の向上や組織の活性化、離職の防止など、企業の業績に直結するものです。それだけに、労務担当者としては企業の持続的な成長を支える重要な役割を担う立場として、また従来の業務をアップデートするために健康経営が浸透してきた側面があります。
本記事では、健康経営を労務管理の文脈でどう捉え、実務にどう落とし込んでいくか、そのポイントを解説します。健康経営の考え方や具体的な手法を理解することで、読者の皆様が自社の労務管理の改善・高度化を図るヒントを得られれば幸いです。
健康経営の労務管理への導入ステップ
健康経営を労務管理に導入するには、大きく4つのステップを経ることになります。
- Step1. 経営層の理解と支持を得る
- Step2. 健康宣言を策定し、社内発信する
- Step3. 部門横断型の推進体制を立ち上げる
- Step4. 健康課題を分析し、解決の優先順位をつける
Step1. 経営層の理解と支持を得る
健康経営には「経営」のキーワードが含まれるように、まずは経営層の理解と支持を得ることが不可欠です。中長期的な企業価値の向上につながるものであり、経営戦略の一環として位置づける必要があります。
労務担当者は、経営会議等の場で、健康経営の意義とメリットを説明し、経営トップのコミットメントを引き出すことが求められます。
経営会議の場で健康経営の必要性を実感してもらうためには、感覚的な説得ではなく、データを用いた提案を用います。具体的な提案の流れをひとつご紹介します。
- 現在、弊社の従業員構成比は40歳以上が50%を超えており、5年後には62%になります。
- 従業員の高年齢化に伴い、生活習慣病の発症リスクは高まります。
- そのため欠勤・休職による労働日数は125%に増加見込みです。
- 健康経営による予防活動は、この労働生産性の低下を防ぐことにつながります。
このように、自社の危機的状況を示し、健康課題が経営課題を紐づくような提案が、経営トップの理解を促すこと有効です。
Step2. 健康宣言を策定し、社内発信する
経営層の理解が得られたら、次は健康宣言の策定と社内発信です。健康宣言は、自社の健康経営に関する基本的な考え方や方針を明文化したものです。例えば以下のような宣言文を、経営トップの名義で作成します。
「当社は健康経営を重要な経営課題と位置づけ、従業員の心身の健康増進と生産性向上の両立を目指します。昨年の健康診断の結果、生活習慣病リスク保有者が全体の30%を占めています。喫煙率も業界平均を上回っています。この課題解決を通してより働きやすく、働き続けたい職場環境づくりを、全社で取り組みます。」
健康への言及だけでなく、経営理念や経営理念や中期経営計画との整合性を図りつつ、健康経営のビジョンを従業員に分かりやすく伝えることが重要です。
Step3. 部門横断型の推進体制を立ち上げる
健康経営の推進体制を整備することも欠かせません。
健康経営では法令遵守としての健康管理に加え、休暇や勤務制度の改善や社外への情報発信も活動範囲に含まれるため、人事部門・総務部門・広報部門など関連部署の代表者からなる健康経営推進委員会を設置し、全社横断的に取り組む体制を構築します。加えて、事業所や部門ごとに推進リーダーを任命し、現場の主体的な取組を促すことも有効です。
Step4. 健康課題の分析し、解決の優先順位をつける
全社横断で取り組める健康経営の推進体制のもと、どのような健康課題から解決するべきなのか優先順位を定めるために、自社の健康課題を可視化します。健康診断やストレスチェックの結果、残業や休暇の取得状況、産業医面談の発生要因や社内アンケートなどの健康データを用いて、自社の従業員が共通して抱える健康課題を発見していきます。
なお、このような健康データの多くは要配慮個人情報として、可視化・分析のための取扱には留意が必要です。詳しくは健康情報取扱規程に関するガイドラインを参照してください。
以上のような一連のステップを経て、健康経営の土台を築いていきます。労務管理の守備範囲を超えて、経営層や他部門とも連携しながら進めていくことが肝要です。
健康課題に対応する具体的な労務施策
現状分析で明らかになった健康課題に対しては、労務管理の様々な局面で具体的な施策を講じていく必要があります。ここでは企業規模や業種を問わず発生しやすい、3つの健康課題について取り上げてみます。
長時間労働・休暇の取得
まず最初の健康課題は仕事による疲労と休養に関する健康課題です。具体的には、長時間労働の是正や年次有給休暇の取得促進など、働き方改革に関する施策です。
法令遵守として労働時間の適正な把握と管理を徹底することに加えて、業務の量や質的負担を考慮した働き方の調整を行えるように管理職の育成も重要です。加えて、フレックスタイム制やテレワークなど、柔軟な働き方を導入・活用することで、従業員が十分な休養をとれるような制度設計を取り入れることも健康経営の施策です。
メンタルヘルス不調への対策
つぎに年々増加傾向にあるメンタルヘルス不調への対策も、健康経営の大きな柱の一つです。
たとえばストレスチェック。法令遵守として、高ストレス者に対する産業医面談にとどまってしまうのではなく、集団分析の結果を用いた職場環境の改善まで施策を進めます。
- 高ストレス者の割合が高い部門の管理職に対して、集団分析の読み解き方・改善アクションを学ぶワークショップを実施する
- 部下の変調に早期に気づき、適切に産業医・保健師への相談へつなぐためのラインケア研修を管理職への昇格時に行う
ストレスチェック制度を二次予防(早期発見)に終わらせず、一次予防(原因解消)にまで広げることが肝心です。
また三次予防(再発防止)としては、休職者の円滑な職場復帰を支援するための復職支援プログラムを整備することも、メンタルヘルス不調の対策となります。
若年層を含む生活習慣病の予防
そして生活習慣病については、高齢従業員だけでなく若年層の従業員を含めた予防策も、企業全体の健康リスクを下げる意味で重要です。
生活習慣病のリスクを早期発見・早期改善するために、健康診断の受診率向上と事後措置の徹底は言うまでもありません。加えて、出張の多い部門や単身者など食生活が乱れやすい従業員の栄養指導や、喫煙所の廃止をすすめて禁煙を促すことは、個人ごとの健康増進につながるだけでなく、働きやすい職場環境を整備することにも有効です。
このように、健康課題に応じた施策を総合的に展開し、PDCAサイクルを回していくことが、健康経営における労務管理の要諦です。
健康経営の浸透を支える人事施策
健康経営を組織に根付かせ実効性を高めていくためには、人事に関する制度の見直しも欠かせません。特に人的資本経営・人的資本への投資を掲げる大手企業においては、「会社として従業員の健康を支援している姿勢」を人事制度によって示すことは、社外へのメッセージとしても有効になります。
評価・報酬制度は、従業員の行動を方向付ける重要なマネジメントの手段です。
例えば、管理職への昇格条件として「部下への安全配慮義務の理解」を組み込んだり、喫煙者に対して特別休暇の日数を削減する逆インセンティブ制度を設けるなど、健康への取り組みが処遇に反映される仕組みを設計することで、従業員の健康意識を高めることができます。
加えて、健康経営の理念を、採用、配置、登用といった一連の人事プロセスにも落とし込んでいくことも重要です。
例えば、健康経営の取組や健康的な職場環境を採用広報に盛り込み、共感する人材を惹きつけることができます。参考として2022年10月にパーソル総合研究が公表した『人的資本情報開示に関する調査 【第2回】』を見てみましょう。
調査対象として① 1年以内の転職を検討している社会人(n=4,100名)と② 2024年春に就職予定の大学生・大学院生(n=500)に対して、人的資本の開示19領域のどれに関心を寄せているかを調査されたものです。
▼ ① 1年以内の転職を検討している社会人が関心を寄せている人的資本の開示事項
▼ ② 2004年春に就職予定の大学生・大学院生が関心を寄せている人的資本の開示事項
どちらの対象者からも、1位・3位・4位に「福利厚生」「安全」「精神的健康」という健康指標で表せられる領域が選ばれています。
このように、健康経営の視点を人事施策に統合的に組み込むことで、健康的な組織風土を醸成し、健康経営の効果を高めていくことができると考えられます。
産業保健スタッフ・外部機関の活用と連携のコツ
ここまで健康経営において「経営」的な側面に着目してきましたが、「健康」に関することである以上、医療職などの健康に関する専門家との連携も不可欠です。
社内の産業保健スタッフとの役割分担
まず、産業医や保健師といった社内の産業保健スタッフは、従業員の健康管理において中心的な役割を果たします。健康診断の事後措置や職場巡視、保健指導など、法令で定められた職務を確実に遂行するだけでなく、健康経営の観点から、より戦略的・予防的な活動を展開することが期待されます。
例えば、健康データの分析に基づく課題の抽出と対策の立案、管理職や人事部門への助言・提言など、組織全体の健康度を高めるための取組も重要となります。産業保健スタッフがその専門性を十分に発揮できるように、労務担当者をはじめとした健康経営の関係者との情報連携が行いやすい環境整備が求められます。
健康保険組合との連携
また、健康保険組合との連携も健康経営の要です。保険者として保有する健診データやレセプトデータを分析し、従業員の健康課題を可視化する「データヘルス」の取り組みは、健康保険組合としても推進したい事業です。そのため、企業側から声掛けすることで事業主と一体となって保健事業を展開する「コラボヘルス」へと広がりつつあります。
労務管理の立場からは、健康保険組合と健康経営について協議する定例会議を設定したり、自社の健康経営の施策の効果検証になるような健康データを共有してもらえるように働きかけることが求められます。
外部の健康関連サービスの活用
さらに、外部の健康関連サービスを上手に活用することも有効です。健康管理システムやストレスチェックの実施など、専門的な領域は外部委託することで、社内リソースを効率的に活用することができます。外部サービスを選ぶ際は、自社の健康課題や目的に合致しているか、実績や専門性が十分かなど、見極めが重要です。社内の産業保健スタッフとも情報共有しながら、最適なサービスを選定していくことが肝要です。
健康経営の効果検証と評価
健康経営の取り組みは、一年で成果が現れるものではなく、毎年継続的に改善しつづけることで、ようやく経営面・健康面の成果が現れます。そのためにも、効果検証と評価を経営会議等で報告することにより、健康投資を継続することの必要性を訴えることが欠かせません。
KPIとしての健康指標と生産性指標
健康経営の効果検証は、健康指標と生産性指標の両面から評価することが望ましいと考えられます。
具体的な指標 | 指標の説明 | |
生産性指標 | アブセンティーズム | 健康が理由で欠勤・休職したことによる生産性の損失 例. 全従業員の私傷病による休職日数 |
プレゼンティーズム | 健康が理由で十分な仕事のパフォーマンスが発揮できなかった損失 例. 病気やけががないときに発揮できる仕事の出来を100%として 過去4週間の自身の仕事を評価してください。 | |
健康指標 | 過重労働者率 | 長時間労働かつ疲労蓄積が認められた従業員の割合 |
高ストレス者率 | ストレスチェックにおいて高ストレスと判定された従業員の割合 | |
保健指導対象者率 | 特定健康診査において保健指導の対象と判定された従業員の割合 |
生産性指標としては、健康が理由で労働生産性が損失している数値としてアブセンティーズムとプレゼンティーズムが代表的な指標です。健康指標としては、身体的・精神的に課題を抱えている従業員として、過重労働者率・高ストレス者率・保健指導対象者率などが代表的な指標となります。これらの指標を毎年測定し、前年度との比較や他社との比較によって健康経営の推進度合いを評価します。
可能であれば、健康経営の投資に対する効果を算出できることが望ましいでしょう。ただし、健康施策に要したコストの計算や生産性指標を金額換算することは難易度が高いため、まずは生産性指標と健康指標を計測することからはじめます。
これらの指標の推移を継続的にモニタリングし、PDCAサイクルを回していくことが重要です。評価結果は経営層に報告するとともに、従業員にもフィードバックし、健康経営の取組への理解と協力を促していくことがさらなる改善につながります。
健康経営の法的な留意点
読者の皆様にとっては当たり前のことですが、健康経営の推進では法令遵守が大前提です。特に安全配慮義務と個人情報保護については十分に理解しておく必要があります。
安全配慮義務とは、労働契約に付随する信義則上の義務として、労働者の生命・身体等の安全を確保するよう企業が配慮すべき義務を指します。言い換えると、業務や職場環境を従業員が健やかに働けるように改善しつづける活動といえます。
しかしながら、従業員ひとりひとりの健康づくりを支援しようとすればするほど、従業員個人のプライベートな情報にまで触れる機会が増えてきます。個人の健康状態(それを表す健康情報)はまぎれもなく個人情報であり、個人情報保護の対象です。そのため、健康経営の推進にあたっては安全配慮義務と個人情報保護のバランスを保ちながら、本人の同意取得や第三者への業務委託などを適切に管理することも求められます。
具体的な留意点については、健康情報取扱規程に関するガイドラインを参照してください。
おわりに
健康経営は、もはや労務管理の新しいスタンダードと言えるでしょう。従業員の心身の健康は、企業の成長を支える重要な基盤であり、健康への投資は、中長期的な企業価値の向上につながるものです。
本記事では、健康経営の考え方を労務管理の実務にどう取り入れ、実践していくかについて解説してきました。経営層の巻き込みから始まり、具体的な労務施策や人事施策、社内外の連携、評価と改善のサイクルまで、健康経営を推進する上での要点をお伝えしました。
これまでの法令遵守や労働災害の防止といった役割を確実に果たしつつ、健康経営の発想を取り入れ、従業員の健康増進と組織の生産性向上を同時に目指していく。それが、これからの労務管理に求められる新たな使命だと言えるでしょう。
本日解説した内容を読んでいただくと、健康経営の推進には会社全体の協力が欠かせないハードルの高い取り組みであると思われるかも知れません。
しかし、労務管理として健康経営にチャレンジすることは必ず報われるはずです。従業員一人ひとりが心身ともに健康で、いきいきと働ける職場を実現することは、企業の持続的な成長へ寄与するからです。
労務管理の担い手である皆様には、自社の健康経営の推進役として、ぜひ本記事の内容を実践に移していただければと思います。健康経営へのリーダーシップを発揮して、新しい時代の労務管理の在り方を追求していく一助となれば幸いです。
【執筆者プロフィール】
小川 剛史
株式会社iCARE シニアコンサルタント / 健康経営アドバイザー
大学在学時より、不動産・教育・保険・健康食品などの事業にコピーライターとして参画。
現職では、企業の産業保健・健康経営をテーマとした日本最大規模のオンラインメディアを立ち上げる。自身が登壇するセミナーの視聴企業数は延べ2万社を超え、上場企業を対象とした「健康経営の高度化コンサルティング」では経営層と産業保健スタッフの双方から高い評価を得ている。
株式会社iCARE:https://www.icare-carely.co.jp/